子供の頃の川崎大師

(昭和13年〜17年頃)

大師町 森田司郎  画 斎藤健治


見せ物小屋 「小娘」

見せ物の中で毎年の様に来ていたのが「小娘一座」である。花形役者の「小娘」は『花ちゃん』と呼ばれ年の頃は二十二、三、もう少し上か、顔立ちは可愛いらしく普通なのに体は小さく、特に手、足は短く「こびと」であり、始めて見たときは異様に感じた。
 体に合せた小さい派手な振り袖を着て、舞台の上に張られた綱の上を日傘を持って渡る綱渡りや、小道具を使う曲芸、軽業の様な芸も見せた。お客との言葉のやり取りも上手で客席に笑い声が絶えない時もあった。舞台の上で踊る日本舞踊も足が短いので「ちょこちょこ」としてユーモラスな動きになってしまいこれを一つの見せ場にしていた。
 テント張り小屋の上部前面に大きな極彩色の等身大(小娘なのであまり大きくはない)の絵看板が3枚架けてあり人垣も出来ていた。木戸番の小父さんは木戸口の番台に座り独特のしやがれ声で呼び込みを始める。「可愛そうなのは此の子でござい、親の因果が子こ報い、常とは見られぬ此の姿、されど女の一念岩をも通す、辛苦、努力の介あって今日皆様にお見せする芸は、踊り、曲芸、軽業、どれを見ても一見の価値がある、さあさあ今が区切りの良い所、お入りはこちら、お入りはこちら」中の賑やかな灘し音楽と客席の拍手に誘われて、ぞろぞろとお客が入いる。小父さんは此こで一踏張りする、正面の絵看板の下に縦50cm・横巾3mの垂れ幕くがあり、木戸番の小父さんの右手にある紐を引くと垂れ幕が上り中の様子が、ちらちらっと見える仕掛けになっている。小父さんは声を張り上げ「さあさあ、いいとこ、いいとこ、今が一番いいところ、『花ちゃん』の艶姿、得意の綱渡りが始った。お入りはこちら、お入りはこちら、『花ちゃんや一い』」と云うと中から「あいよ」の返事がある、そこで紐を引くと中の、綱渡りがちらっと見え小屋の前のお客は「うわあ」と云いながら背伸びをして見ている、小父さんは頃合を見て幕を降ろす、こんな呼び込みの効果なのか客の入りは良かった。
 ほとんどの見せ物の人達は小屋に寝泊まりしていた、「小娘一座」は6人で炊事、洗濯も小屋の周りでやっていた、正月の一番寒い時に板の間で寝るのは大変だったと思う。夜になると『花ちゃん』は若い衆に「ねんねこ」でおんぶされて銭湯へ行く、我々も同じ銭湯なのでときどき風呂の行き帰りに一緒になり、色々な話をしながら歩いた。一座の人とは顔馴染みになり、空いている時は木戸御免ただで入れてくれた。
『花ちゃん』はともかく明るい、体のハンディなど感じさせないエネルギーを持って、旅から旅の興行を打ち続け、毎年のお正月に元気に川崎大師へ来てくれていた。しかし戦時体制が厳しくなり、昭和16年頃には見せ物は来なくなってしまった。
今でも『花ちゃん』は戦中、戦後何処で、どんな暮しをしたのか気に掛かる時がある。

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