江戸前の食材にこだわる
(かわさきの技)
東京新聞 2004年 9月26日 朝刊 川崎版
和食職人・伊藤大悟さん
アナゴ、ハマグリ、シャコにタコといえば、江戸前料理を代表する魚介類。東京湾でも大森、羽田、大師かいわいは多摩川などからの真水が流れ込み塩分が薄く、甘味のあるやわらかい肉質の魚介類が育つといわれる。この食材で江戸前の伝統料理を作っているのが、川崎市川崎区の大師表参道にある料亭「恵の本」の十代目、伊藤大悟さんだ。
中学時代から先代の料理を目を据えて覚え、三百年以上続く同店の味を守り続ける。とりわけ有名なのがハマグリを使った「はまなべ」。大師かいわい伝統の名物料理だ。「大師の浜で捕れた地ハマ(ハマグリ)を味噌仕立てにした、江戸時代から庶民が食すなべ料理なんです。これを出すのはうち一軒になってしまいましたが、昔は門前にお茶屋(料理屋)が軒を並べ、大師参りをした後、はまなべを囲んで一杯やる、これが参拝コースでした。
当時はハマグリとネギを使った素朴な味だったが、味噌仕立てにハマグリの汁味が乗り、うまさが知れ渡った。「お茶屋の前には赤い前掛けに赤たすき姿の呼び込みが立ち、客が入ると下足番が炭を火鉢にいれ、客室に配った」という。その風景も名物の一つだったらしい。
料理は手早い。ハマグリの身を取り出すむき棒でスルと身を出し、垂れ落ちる汁を器に受ける。1人前四個のハマグリを使うが、どれも大きくふっくらと厚みがある。「身の薄皮に傷を付けずに取り出すのがコツ。傷がつくと見栄えが悪いですからね」
むき身が終わると、豆腐と野菜のなべ地作り。これに酒や砂糖を入れた秘伝の味噌を加えて煮れば出来上がり。「加熱し過ぎないように・・・」と注意を受け、早速熱々のハマグリを口に入れた。ハマグリの濃厚な味と、甘味のある味噌の香りが広がった。
このほかアナゴの江戸前天ぷらに煮アナゴ、アナゴのにこごりシャコや地ダコのすしも江戸前ならではの逸品だ。江戸前で捕れる食材は昭和40年頃からの東京湾埋め立て後、漁獲量は減る一方。大師の浜の漁師たちはやがて姿を消し、湾内のそこかしこで捕れたハマグリも今は金沢八景の小柴が神奈川唯一の産地と言われる。「毎日はとても手に入らない貴重な食材」になり、はまなべの注文も予約制。それがまた希少な江戸前料理として人気を集めている。
地物の貴重な食材を使った江戸前料理を前に、こんな思いを語った。「江戸前ならではの素材を生かす料理は生涯の学習。「これでいい」というものはない。食材がなくならない限り、伝統の味にこだわりたい」
(担当 飯田忠久)